ラグビーの素晴らしさを是非、知ってほしい。私の人生を変えたラグビーとは。

今日の投稿は私の人生を変えたラグビーについてです。

今日は私の事についてすいませんが投稿させて頂きます。

私がラグビーを知ったのは12歳の中学1年生の時でした。

その当時、ラグビーの競技自体を知らない自分にはほとんど興味もなく

学校の授業で体育の時間に行っていました。

何故か、その体育の先生はラグビーを授業にとりいれる不思議な先生で、

ほとんどの生徒は興味をしめしませんでした。

しかし、その先生がのちの自分の恩師の先生になることになります。

中学生2年になり、学校が分断され私たちの地域は別の中学にいくことに。

そこでもやはりその体育の先生は赴任されるのです。そしてこの先生とは小学校の時の

一時指導をして頂いたことに気づきました。何かの縁があったのだと今覚えば思います。

 

ラグビーとの再会

中学2年生になり、又もやその先生が体育の指導をして頂くことにそして又もやラグビーを。

1年間のほとんどをラグビーをしており、こんな感じでいいのかなと。しかし、ある日

スクラムを生徒の前で組むことになり、なぜか自分か前に呼ばれ先生とスクラムを組むことに

なります。そしてその時先生が「お前スクラム強いな」と。

この言葉が私の人生を大きく変えることになります。

今迄体育で学校で自慢ではありませんが褒められることもなく、小学校から運動でも

特に興味をもてるのもなく、だらだらしていた学校生活でしたので、この言葉は

自分にとっては非常に大きなきっかけになりました。

1年間のほとんどの体育がラグビーだったため、自分は体育の時間は一番にグラウンドに出て

ボールを用意したりしてとても楽しい体育授業を送ることになります。

毎年12月に学校で非公式で試合を学年のクラス対抗を行い、それが自分にとって

学校生活のすべてになりました。3年生になり更にその行動はより強いものとなります。

ちょうどスクールウオーズとうドラマもあり学校でのラグビー熱はより私以外でも

高まることになります。

そして3年生の10月に進路を控えた私たちにその体育の先生はある提案をされます。

他校との練習試合です。

そして学年の中から30人の生徒が選ばれ、私もその一員に選ばれることになりました。

その時の気持ちは今でも忘れることは出来ません。

しかし、学校で今迄自分が求めらることはなかった生活でしたから、

それはとてもうれしかったです。

しかし、ここで問題が中学3年生の10月と言えば受験勉強の真っ最中です。

自分も親に反対されましたが、自分の決意は強く、ここから10月~12月25日まで

毎日の練習が始まりました。

この3カ月で自分の中で少しづつ何かが変化していくのがわかりました。

やれば出来るんだと。自分にも向いているものがあるんだと。

12月25日に河合第二中学との試合は圧勝で終わり私の中学でのラグビー生活は

終了しました。

 

高校での新たな出会い

高校は自分が第一希望の学校には行くことが出来ずに奈良県の県立高校に。しかし、ここには

ラグビー部は同好会しかなく練習をみにいきましたが、入る気持ちにはなれなかったのです。

そして中学の卒業式からは親が社会人のチームを探してくれたノッコンクラブに入部させて

頂くことになり毎週日曜日はノッコンクラブで練習を行っていました。

自分にはノッコンクラブの大人の先輩方がとても良くしていただき、大阪や奈良などの

試合にも多数出場させて頂き本当に素晴らしい経験をさせて頂きました。

高校1年生の冬休みにノッコンクラブにいつも通り練習にいくと一人の先輩が

おられ長い間お休みされたいたみたいで1年くらいこられてなかったそうです。

練習がおわり、その先輩が「君どこの高校生?」と「はい、自分は〇〇高校です」と。

答えると、その先輩は私の高校の1期生で、あのラグビー同好会を作った方でした。

そして、この先輩の猛烈な勧誘が始まります。

当時1年生だった自分の教室に毎日2年生の先輩が下校時にきて待ち伏せ。

僕は当初はこの学校でラグビーはしないと決めていたので、断っていました。

しかし、毎日、毎日しつこいくらい、下校時に教室や下駄箱まで来られて

根負けして1回だけなら練習に参加しますと。

しかし、そのまま自分は3年生まで続けることになり、結果副キャプテンとして

チームを同好会からクラブにまでもっていくことになりました。

 

その後大学でもプレーをし自分のラグビーでの競技生活は追えます、

特に大きな試合に勝てた訳でもなく、飛びぬけて優秀な選手でもありませんでした。

 

しかし、私はこのラグビーとの出会いで自分が社会で求められる場所があること、

そして諦めなければ必ず自分の思いは通じることを学びました。

ラグビーとの出会いが自分の人生を大きく変化させてくれたと私は思います。

 

誰でも自分を必要としている場所はあるはずです。

そして誰との出会いが自分の人生を変えるかわかりません。

私は中学時代の吉田先生、そして高校の先輩の丸山先輩、そしてノッコンクラブの

先輩方、ラグビー道具をいつも安くわけて頂いたウシトラの会社の方々がおられ、

成長できた部分は否めません。

是非、ラグビーだけではありませんが、自分をあきらめないで競技を続けてみてください。

自分を必要としてくれる場所があると思います。

 

asuka-sports.com

asuka-shinkyu@lapis.plala.or.jp

 

この記事を書いた人

野島 竜一

あすか鍼灸整骨院/asukaトレーニングクラブ院長兼代表

1971年奈良生まれ、 トレーナー スポーツ外傷専門の治療家/体幹トレーニング専門のフィジカルトレーナー。アスリートから一般の方までに体幹トレーニングにより体が健康になる素晴らしさをブログで発信。

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